最近の邦楽(特にボカロのような曲)について思うこと
2021年2月
邦楽のテイストも流行り廃りを経て、現在はかつてのボーカロイドで作られていたような楽曲が増えてきたように感じる。
昔、ニコニコなどでボーカロイドを聴いていた人には感覚的にわかると思いますが、かつてボーカロイドで作られていたボカロ楽曲というのは
・楽曲自体のテンポが速い
・メロディーの音符数が多い(詰め込まれている)
・メロディーラインの起伏が激しい
・伴奏(主旋律やリフ、前奏~曲間の伴奏~後奏)が全体的にピロピロしている
・歌詞の内容が直接的な表現で過激
といった要素を含んでいるものが多く、それがボカロ曲の特徴の一つであった。
なので、上記に上げるような特徴をJ-POPで感じると「なんかボカロっぽい」と個人的には思ってしまいます。
最近だとYOASOBIの「夜に駆ける」はその筆頭のような気がします。
Adoの「うっせぇわ」なんかはもろに楽曲も内容もボカロだなぁと思ってしまいます。
では、なぜこのようなボカロっぽい曲が増えてきたのか?
一つは思春期にボカロを聴いていた世代が、大人になって今現在、曲を作っているということが挙げられます。
思春期に影響を受けた音楽やジャンルって、その人の音楽性に反映されますよね。
「三つ子の魂百まで」というヤツですね。
それともう一つが、歌詞付き音楽の限界も関係していると思われます。
スケールとコードとリズムの組み合わせは無限にあるように感じますが、ポピュラー音楽においてはよく考えてみたらそんなに多くはないと思っています。
四分音符で構成されるメロディーなんかはもうすでに歌謡曲や90年代に出尽くしているでしょう。ゆっくりとした曲は使える音符数も少ないですからね。
反対にメロディーを詰め込んでメロディーラインを作るのにも限界があります。
1小節の間にぶち込むことのできる音符や発声できる音には限りがありますし、詰め込みすぎるとどうしても「似たような感じ」「ピロピロ」した感じになってしまいます。
複雑に詰め込まれたメロディーはそれこそ本当は楽器の得意分野です。
なので、ボカロの得意分野ともいえます。(個人的にはボカロは楽器の部類だと思っています)
人間では発声が難しいような、もしくは耳障りなメロディーやあと「恥ずかしい歌詞(笑)」を歌えることがボカロの良いところであり、それこそがボカロの特徴の一つだと思っていたのですが、結局はメロディーラインの枯渇や歌詞表現の自由度UPによって人間が歌うようになってしまった・・・・というのが最近のボカロのような邦楽が多く出てきた理由だと思っています。
こんなことを言っていますが私はボカロが大好きで、そのため逆に人間が歌うボカロ曲はキライだったのですがココにきて価値観がひっくり返ってきてびっくりしてます。
やっぱり人間が歌えるなら人間が歌った方が良いなぁ・・・と(そうなるとボカロの良さや必要性ってなくなっちゃいますよね・・・)
ただ、最近よく言われるような「共感性羞恥」を呼び起こすような歌詞や「ピロピロと音が重なりまっくた伴奏やイントロ」はどちらかというと好きではなく、今後、私が好きなような音楽がまた日の目を見ることはあるのだろうかと勝手に邦楽の行く末を「うっせぇわ」を聴きながら心配しています。
この記事へのコメントはありません。